小川鉄工株式会社

日を一にし力を一にし心を一にす

 広島県の中北部に位置する安芸高田市は史跡や文化財が数多く残る自然豊かな地方です。吉田町の中心を南西から北東へ日本書紀の八岐大蛇(やまたのおろち)退治にある「可愛川(えのかわ)」(江の川上流)が流れ、吉田盆地が広がっています。

小川鉄工工場内
小川鉄工工場内
サンフレッチェ広島
サンフレッチェ広島

当社は20年前広島市から北西45kmに位置し国道54号線沿いにある吉田町の高田地区工業団地に本社工場を移転しました。中国自動車道高田インタからも近く、精密機械を製作するのに適した環境にあります。さらにこの地方は伝統芸能や古くから続く祭事が多く残り、神楽は東京などでも上演され、ストーリ性を重視したスピード感ある「高田新舞」として全国へ魅力を発信しています。また、中国地方一円に勢力を拡大した戦国武将、毛利元就誕生の地として知られ、吉田町には山城である「郡山(こおりやま)城跡」をはじめ、元就の墓所や毛利家の祈願所で、八岐大蛇を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る「清(すが)神社」や古墳など多くの史跡により、その足跡をたどることができます。郡山城拡張の際、人柱にされようとした巡礼に替えて、石に「百万一心」と彫らせ埋めさせたと伝えられ、文字が「一日一力一心」と読めるように配してあることから、一日一日を、一人一人が力を合わせて、心を一つに協力一致で事を行うように教えたものといわれています。また元就が3人の子供に、1本の矢は折れやすいが矢を3本束ねれば折れにくいと諭した「三矢(みつや)の訓(おしえ)」も協力一致の精神を説いたもので、サッカーJ1「サンフレッチェ広島」のチーム名は三本の矢に由来しており、ロゴにも使用されています。その縁でチームの練習場「吉田サッカー公園」が造られました。

 当社は昭和21年広島市にて三矢の訓に習い、小川家の3兄弟によって個人経営で小川鉄工所を創業。その後、業績の伸展に伴い有限会社小川鉄工所に改組し、三菱造船株式会社広島造船所並びに同社広島精機製作所の協力工場として指定を受け陸上・船舶を中心に工作・産業機械の機械組立工事に従事しました。昭和36年小川鉄工株式会社に改組し、三菱造船株式会社の系列会社となり本格的に同社の工作機械部門を受け持つことになりました。特に昭和39年から製作した三菱小川ラジアルボール盤は業界の好評を得るとともに工作機械メーカとして地盤をかためることになりました。昭和41年三菱重工業株式会社より独立し、引き続き小川ラジアルボール盤や穴加工専用機等の製造販売をおこない、多くの優れた製品を国内外に納入、多方面から高い評価を得ています。これもひとえに皆様方のご支援のおかげと深く感謝しております。当社では一日一日を、一人一人が力を合わせて、心を一つに協力一致で事を行うように努力してまいりました。おかげさまで昨年、創業60年を迎えることができました。今後とも、工作機械メーカとしてユーザの皆様との絆を強め、真にお客様に信頼され、お役に立つよう努力して参りますので小川鉄工株式会社を宜しくお願い致します。

素戔嗚尊と八岐大蛇 百万一心碑
素戔嗚尊と八岐大蛇 百万一心碑
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