株式会社キリウテクノ

誠実・迅速・徹底をモットーに工作機械専門メーカーとしての新しい歴史作りに邁進

弊社工作機械生産 第1号機 1936年(昭和11年)
弊社工作機械生産 第1号機 1936年(昭和11年)
LF型精密旋盤 1941年(昭和16年)生産開始
LF型精密旋盤 1941年(昭和16年)生産開始
KFT20シリーズ ピストン非円形加工用縦型旋盤
FT20シリーズ ピストン非円形加工用縦型旋盤
KVL25シリーズ 縦型NC旋盤
KVL25シリーズ 縦型NC旋盤

 弊社は、2001年7月 桐生機械株式会社【現:(株)キリウ】工機事業部より分社独立し、所在地も桐生市より、お隣りの伊勢崎市に移転、新生「株式会社キリウテクノ」として発足しました。その起源を辿りますと、1906年(明治36年)織物準備機械製造、桐生製作所(桐生機械の前身)としての創業開始に端を発し、昨年2006年12月創業100年を迎えるに到りました。この節目の年を迎えることができましたのも、お客さまのご愛顧と先輩諸氏のご努力の賜物と深く感謝する次第です。
 創業開始の地、桐生市は群馬県東端に位置し、東、南、北の三方は、高地に囲まれ市街を渡良瀬川、桐生川が流れる盆地的地形を呈し、古くから「西の西陣」「東の桐生」と織物工業が盛んな土地柄で、桐生機械(株)の創立もこれに深い関係を持つものです。

 桐生織物の起源は定かではありませんが、戦国時代の1333年(元弘3年)新田義貞が、鎌倉、北条高時追討の折、生品明神の社前において義兵を挙げた際の軍旗が桐生産の絹地を用いたと言われ、又、1560年(永禄3年)桶狭間の合戦の際、織田信長の旗下であった徳川家康も桐生絹の軍旗を用いて勝利したと言われています。
 この吉例によって1600年(慶長5年)関が原合戦当時、徳川秀忠を大将とする山道軍が、下野(栃木県)より西上の際、軍旗の絹布と旗竿とを献上し、以後この慣習が桐生織物の発展の一因となったと言われております。
 桐生が絹織物の特産となった背景は、「お蚕さん:養蚕」に適した土地柄と水利を生かした水車での糸繰りの動力を得、且つ「からっ風とカカア天下(カカア天下とは良く働く女性の意味ですよ!)」?の上州気質が土壌にあるのかも知れません。

 明治以前までの織機は、殆どが木製でしたが高価な外国製金属製機械が我が国に輸入されると同時に国内織物産業の発展には、国産製織機の製造が急務となり、地元の機業家の強い要望も後押しとなり、1906年、合資会社桐生製作所が桐生の地に産声を上げました。
 その後1912年(大正2年)鋳造生産の内製化,工作機械の設備拡充を順次行い幾多の難局を乗越えてきましたが、昭和初期の満州事変勃発以後、戦時突入の気運にあった我が国の当時の資源局より、1934年(昭和9年)工作機械製造の要請が出され、製品の転換を真剣に検討するに至りました。

 1936年(昭和11年)の開発第1号機の着手に始まり、1938年(昭和13年)より普通旋盤の製造販売を開始、又、同年、上野で開催された「第10回国産工作機械実演博覧会」に工作機械3台を出品し、発売早々より好評を得たとの記録があります。
 当時の情勢を反映するかの様に、納入先は、中島飛行機等の軍需用製造先が主でありました。
 太平洋戦争を挟んで、中断していた生産も1946年(昭和21年)の織物準備機械の再開を皮切りに、1951年(昭和26年)には工作機械の製造販売を再開し、工作機械部門は、普通旋盤・タレット旋盤・縦型旋盤・各種専用機等の生産を、一方、鋳造部門は、自動車産業の近年の目覚しい発展に伴い、ブレーキ部品であるドラム・ローターを中心とした自動車部品の鋳造から機械加工一貫生産により、「桐生機械」は、工作機械部門と自動車部品部門の2本柱で業容を拡大して参りました。

 2001年に桐生機械より社名変更の「(株)キリウ」が鋳造・加工技術を、又、弊社「(株)キリウテクノ」が工作機械の製造技術を継承した形となります。  最近のキリウテクノの商品群と致しましては、縦型旋盤をベースにした【ドラム・ローター加工専用ライン】又、【ピストン非円形加工用:縦型旋盤】及び【ピストン加工ライン】【自動車部品加工用:汎用縦型旋盤・ターニングセンター・各種専用機】などであります。

  100周年の節目と言う事もあり、長々と創立からの歴史を述べさせて戴きましたが、弊社は、これからも先人の方々の名に恥じぬ様、一世紀にわたって築きあげた実績と信頼を基に、「新しい歴史」を作るべく全社一丸となって工作機械の開発製造に取り組んでまいります。

 今後共、株式会社キリウテクノを宜しくお願いいたします。

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