DMG森精機株式会社

60周年に向けて ~グローバルワンへの軌跡~ 60周年に向けて~

平成18年に稼働した伊賀事業所の板金・鋳物工場
平成18年に稼働した伊賀事業所の板金・鋳物工場
平成19年10月オープン予定のDIXI MACHINES工場(スイス)
平成19年10月オープン予定のDIXI MACHINES工場(スイス)

 森精機製作所は、独創的で精度良く、頑丈で、故障しない機械を最善のサービスとコストでお客様に供給することを通して、旋盤、マシニングセンタ、複合加工機、研削盤で「グローバルワン」になることを目指している会社です。グローバルワンとは数量や利益を求めるのではなく、お客様に選んでいただける製品をこの世の中に送り出し、そのことによって皆さんと共存共栄を目指すことだと考えています。この森精機製作所の創業期から現在までを今回は説明致します。

弊社は1948年(昭和23年)10月26日に奈良県大和郡山市で繊維機械の製造・販売を開始しました。当時大和郡山は繊維産業が盛んで、繊維機械メーカーが数多くありました。弊社は繊維機械を製造していた頃から数えると、来年(2008年)で創業60周年を迎えます。繊維機械の製造を中止し、工作機械(高速精密旋盤)の製造・販売を開始したのが1958年(昭和33年)5月です。業界の中では後発の部類に入ると思います。現在の産業を支える工作機械の役割の重大さを考えますと、この転身は弊社にとって一大転機となりました。現在に至る工作機械メーカー森精機の始まりです。  弊社にとってターニングポイントとなるのがNC(数値制御)工作機械の登場です。弊社では1968年(昭和43年)4月から、NC旋盤の製造・販売を開始しました。この時期に、お客様の元へ指導のための社員を長期に派遣する、機械を展示実演するテクニカルセンタを建設する、などといったスタイルを確立し、業容の拡大を図りました。テクニカルセンタの建設は1972年(昭和47年)の東京テクニカルセンタ開設を手始めに、日本に展開していきました。それは国内だけではなく、海外も含みます。この時期には積極的な海外展開を行いました。「現地に根ざしたテクニカルセンタを」との掛け声のもと、1982年(昭和57年)7月、ドイツに海外現地法人の第一号となるモリセイキG.m.b.Hを設立しました。また、1983年(昭和58年)8月にはアメリカにモリセイキU.S.A.,INCを設立しました。その後、米州・欧州・アジアの各地にテクニカルセンタを建設しました。現地社員の力がフルに発揮され、森精機ブランドの海外での浸透に大きな効果がありました。現在では国内41箇所、海外46箇所を数えるまでになっています(2007年5月末現在)。

業容が拡大するにつれ、新しい工場を建設する必要に迫られ、1970年(昭和45年)12月に三重県阿山郡伊賀町(現・三重県伊賀市)に伊賀工場を建設し、操業を開始しました。この工場では工作機械の組立はもちろん、NC工作機械の主要要素であるボールねじやカービックカップリング等といった部品の内製化を実現しました。これらの投資は大変大きなものでしたが、工作機械づくりにかける信念により断行されました。1986年(昭和61年)に弊社は東京証券取引所第二部に上場していた株式会社吉田鐵工所に資本参加しました。吉田鐵工所は1919年に創業、立形ボール盤などで定評があったメーカーです。この時、吉田鐵工所の全従業員が当社へ移籍しました。また、この年に吉田鐵工所のあった大和郡山市井戸野町に奈良工場を建設、操業を開始しました。
1978年(昭和53年)には世界初の機電一体スラント旋盤(コントロール、油圧ユニット、正面操作盤)SL-3を発表し、好評を得ました。これは累計5000台を超えるヒット商品となりました。また1987年(昭和62年)にはFA(ファクトリーオートメーション)化に対応可能な10インチチャック仕様のNC旋盤SL-25を発表しました。こちらは累計10,000台を超えるベストセラーとなりました。これらのNC旋盤のヒットは、弊社の現在を築く原動力となりました。
このように「旋盤の森精機」として地を固めてきました。それと時を同じくして、これまでのNC旋盤で培われたノウハウを結集して、マシニングセンタの開発を行いました。1981年(昭和56年)5月には弊社最初の45番テーパ立形マシニングセンタMV-45を製造・販売しました。続いて1983年(昭和58年)6月には40番テーパ横形マシニングセンタの製造・販売を開始しました。新たな分野に進出することで、お客様の層を広げることができました。現在弊社では、マシニングセンタは旋盤と同規模の売上を誇るまでに育っています。この頃、弊社の研究開発拠点は創業の地である奈良県大和郡山市北郡山町にありました。ここに設計技術者が集まり、機械の開発を行っておりました。しかし機械を作る場所と開発する場所が近い方が、何かあった時の原因究明がスムーズに行われ、その結果を設計へフィードバックするのに役立つのではないかと考え、現在では各事業所に各設計者がいるというスタイルになっています。これは例えば現在大型の旋盤を製造している伊賀事業所に、その機械の設計者がいる、といった具合です。この製造と開発の近接は、弊社の技術力向上、品質向上に大きく役立ちました。また、設計の面では、現在はアメリカのサクラメントにデジタル・テクノロジー・ラボラトリー(DTL)という名の現地法人を立ち上げています。ここは解析を主な仕事としています。日本で作ったデータを日本時間夜にDTLに送信。DTLでそれを解析し、その結果を日本の翌日朝までに返答する、というサイクルが出来ています。24時間設計体制です。これにより、今まで以上に時間を有効に使うことができるようになり、開発期間の短縮や品質の向上に大きな成果がありました。バブル経済崩壊後の設備投資環境の悪化はとどまるところを見せず、2002年(平成14年)に日立精機が破綻しました。

弊社は2002年(平成14年)8月に民事再生法適用を申請した日立精機を買収(営業譲受)し、千葉県船橋市に千葉事業所を開設しました。奈良県大和郡山市にある奈良事業所、三重県伊賀市にある伊賀事業所に次ぐ第三の事業所です。現在奈良事業所では小型の旋盤・マシニングセンタを、伊賀事業所では中・大型の旋盤・マシニングセンタを、千葉事業所では複合加工機を製造しています。それぞれ要な役割を果たしています。

現在弊社が力を入れているのが「Nシリーズ」という名の機械です。これは「お客様の生産性30%アップ、利益2倍」を目標としています。2002年(平成14年)3月に発表したNV5000を皮切りに、現在ではCNC旋盤、立形マシニングセンタ、横形マシニングセンタ、複合加工機とフルラインナップを要する当社の看板シリーズとなっています。これらは多大なご支持をいただき、2005年(平成17年)12月には累計10,000台を超えました。
2006年(平成18年)にはスイスの名門工作機械メーカーDIXIMACHINES社を友好的に併合致しました。DIXI社は超高精度、超精密な機械づくりに定評があります。これが弊社にとって初の海外生産になりました。DIXI社の、気の遠くなるような地道な作業を繰り返すことによる精度への拘り、また、弊社の多品種生産のノウハウ、技術などがそれぞれに互恵をもたらし、相乗効果を発揮しつつあります。

弊社は来年で創業60年と、節目の年を迎えます。今までお客様と共に歩んできた60年をこれからも大事にし、全社一丸で頑張って参ります。
これからも森精機製作所をよろしくお願い致します。

平成19年5月にオープンした(株)秋篠金型研究所内

平成19年5月にオープンした(株)秋篠金型研究所内

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