株式会社山崎技研

人と自然、技とロマン単品加工機のトップメーカーを目指して

弊社は戦後間もない昭和23年、高知市鴨部にて山崎内燃機関研究所を設立したのが始まりです。
無類の機械好きであった創業者は、独自に開発した4サイクルエンジンを搭載した「ブルーバード」と称するオートバイを商品化し、ピーク時には月間数百台を生産し、一部は東南アジアへも輸出しておりました。
昭和33年頃までオートバイを生産していましたが、その後、船外機、変速機と生産品目を変え、昭和36年頃より工作機械の研究に着手しました。

 昭和38年工場を高知市神田に移転し、中ぐりフライス盤の試作を繰り返しながら、昭和40年社名を「株式会社山崎技研」に変更、昭和42年に立中ぐり
フライス盤「YZ-8」を発表し、本格的に工作機械メーカーとしてスタート致しました。御陰様で「YZ-8」は、14年の永きに渡りモデルチェンジ無しで全国のお客様に約4000台を出荷させて頂きました。
その後、横中ぐりフライス盤の発表や立中ぐりフライス盤のシリーズ化を行い、現在では立形、横形、門形を含め18機種のCNC中ぐりフライス盤を製造しております。
YZ-8

またその一方で、高度成長と反比例するかのように破壊され、痩せ細っていく自然環境に危機感を抱いた創業者は、昭和36年に「浦戸湾を守る会」を結成し環境問題に積極的に取り組む様になりました。
当時、高知市のほぼ真ん中を流れる江ノ口川は、昭和26年頃よりパルプ工場から出る廃液により、異臭を放つ死の川と化していました。
永年に渡り廃液処理施設の設置や移転要求に応じないパルプ会社に業を煮やした創業者は、昭和46年6月9日、工場の排水口を生コンで塞ぎ操業を停止させました。
いわゆる「高知生コン事件」です。 それから約1年後、パルプ工場は閉鎖され、それを境に江ノ口川の水質は改善の方向に向かい、魚が戻って参りました(現在では50センチを超すコイや、川魚が戯れています)。

また会社としては、環境の変化や乱獲による水産資源を保護するため、昭和47年に水産事業部を立ち上げ、タイやシマアジの種苗生産を行っております。ちなみにタイの稚魚出荷量は愛媛県を中心に西日本の養殖業者様約300社に、年間一千万尾以上を出荷しております。 高知の海

また、それ以外にも地元のお子さんを招き、高知の海に年間数十万尾の稚魚を放流したり、高知市を流れる鏡川の源流域に41㌶の山林を取得し、間伐や広葉樹の植樹を地域の方々と一緒に続けるなど、環境保全への取り組みを積極的に行っております。

話を工作機械に戻しますが、弊社の製造するYZシリーズは、他品種小ロット、単品加工に適した工作機械です。その製造方法には手作りの部分が随所に生かされており、その一つがキサゲ作業です。フライス盤の前後、左右、上下のスベリ面などは全てこの方法で
仕上げられており、製品の高い精度と耐久性を維持する為に、不可欠な作業となっております。

 ご存じの通りキサゲ作業は肉体的にきつく手間のかかる作業ですが、 ベテラン作業者はもとより若い作業者も信念を持って高精度追求に取り組んでおります。汎用機の時代から永遠と続けられているキサゲ作業、これからも将来にわたり継承しなければならない技術と考えております。 キサゲ作業者

最後になりますが、弊社では理想的な工作機械造りには強固な地盤と静かな環境が最適だと考え、この条件に合った香美市土佐山田町テクノパークに新工場を建設し、良い製品をお届けすべく、生産を開始しました。

 弊社は、今後も地域社会への貢献と、環境に配慮した、理想的な工作機械作りを目指し努力して参ります。山崎技研をこれからもどうぞ宜しくお願いします。 本社
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