株式会社唐津プレシジョン

「明治力・未来力」をモットーに

株式会社唐津プレシジョンは九州西北端の玄海国定公園の中心都市で、海に面した風光明媚な町として知られる、佐賀県唐津市に位置しています。この地は古くは中国(唐 から)へ渡るみなと(津)として栄え、「からつ」の呼び名の由来になっています。毎年11月2日から3日間、市内では若者達が勇壮華麗な曳山を曳き廻す「からつくんち」一色に染まります。茶道に著名な唐津焼もこの町の産物です。

このような自然と文化に恵まれた地において、弊社は100年以上にわたって、工作機械づくりに専念してきました。

弊社の歴史について紹介させていただきます。

弊社の創業者 竹内明太郎は父竹内綱が設立した竹内鉱業の経営を任され、明治中期より最新の技術を積極的に導入し、茨城無煙炭鉱、芳谷炭鉱(唐津市郊外)、北海道大夕張炭鉱、遊泉寺銅山(石川県小松市郊外)など、当時の全国屈指の優良鉱山を持つ鉱山会社に成長させました。しかしいくら優良な鉱山、炭鉱であっても資源は有限でいつかは枯渇する。そうなれば地元住民は仕事を失い、地域経済は沈んでしまう。竹内明太郎は工業立国の理念の先覚者でもあったので、それぞれの地に地下資源に頼らずとも生きていける機械工業を興すべきだと考えました。この考えの下、1909年(明治42年)に芳谷炭坑株式会社唐津鐵工所が創業されました。大正5年に独立して、株式会社唐津鐵工所となりましたが都合102年にわたって、“用うるに利有るをつくり売るに利有るものを追わず”を理念とした工作機械の開発と製造に専念してきました。

これまでに弊社が開発・製造をしてきた各工作機械について紹介致します。

1911年(明治44年)に米国プラットアンドホイットニー社モデルの6尺旋盤6台の製造に成功したことに始まり、1916年(大正5年)頃から大型旋盤、プラノミラー、ロール研削盤などの大型機械を、1921年(大正10年)には歯車ホブ盤を開発しました。その後もヤマバ歯車形削り盤、カサ歯車歯切り盤、歯車形削り盤を開発し、歯切り機械の分野を充実させるとともに、プレーナ、立旋盤、フライス盤、平面研削盤、横中ぐり盤などの大小各種の工作機械の開発を進め、広く、深く技術を蓄積しました。

特に大型工作機械は戦前の歴史的製品である戦艦大和、武蔵の口径46cmの主砲の孔を仕上げた巨大な砲身中ぐり盤を1938年(昭和13年)に完成させ、1967年(昭和42年)に2m×12m製鉄用強力高精度ロール研削盤を、1971年(昭和46年)に4.2m×16m大型旋盤、1975年(昭和50年)にテーブル径2.3m大型歯車形削り盤とテーブル径5m大型ホブ盤を、1991年(平成3年)に3.5m×12mタービンロータシャフト仕上加工用大型NC旋盤などの超大型工作機械の開発に成功しました。

L-36N型CNC大型旋盤 技能五輪大会旋盤職種の参加風景(2010年)
L-36N型CNC大型旋盤  技能五輪大会旋盤職種の参加風景(2010年)

小型機械についても、歯車形削り盤に長い経験を有し、現在は機種揃えを充実させてシリーズ化を進行中です。さらに1989年(平成元年)に精密歯車研削盤を開発し、引き続き精密ウォーム研削盤も開発し、多数の実績を上げています。

人材育成については、弊社は不断の課題と考えており、社員教育に相当の時間と費用をかけるとともに、技能伝承に多くのベテラン社員の雇用を継続しています。またこれをさらに高めるために技能検定資格の取得や技能五輪大会に出場しています。

心の通ったモノづくりをモットーに、現在も主要部品の生産をほとんど社内で行うなど、設計から検査まで一貫したシステムを採用しており、高精度で高品質の工作機械を製造することは勿論のこと、お客様の要望に素早く対応する体制作りを進展させつつあります。次の100年を目指してチャレンジを続けます。

社員一同
 社員一同
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