キタムラ機械株式会社

「創意無限」の理念のもとに限りなき技術開発への挑戦

 キタムラ機械株式会社は、日本で稀なマシニングセンタ専業メーカーです。創業が昭和8年(1933年)11月8日で、昨年創立77周年を迎えました。
 本社工場は、富山県高岡市にあります。高岡は400年前の慶長14年(1609年)加賀藩主前田利長公が築いた城下町です。同菩提寺である曹洞宗の名刹「瑞竜寺」は、国宝に指定されており、その壮大な伽藍配置様式は、豪壮にして典雅で大変美しく、見る人々を圧倒します。また、銅器の町として、銅像や燈籠、梵鐘製作では国内随一を誇っています。その象徴である日本3大大仏のひとつ「高岡大仏」は、焼失しない鋳銅仏として高岡の銅器製造技術の結晶であります。富山県の産業は、当時の高岡銅器に代表される鋳物産業から始まり、その後水力発電により電力が豊富になり、アルミ産業や機械産業に発展していきました。
 当社は、海軍技師で英国留学経験もあった現社長の祖父である北村源治氏(故人)が、昭和8年(1933年)北村工作所として個人創業し、戦前、戦時中は航空機や潜水艦等の部品を製作していました。戦後は金型製造を手掛けて、銅器やアルミ等、高岡の地場産業発展の一翼を担っていましたが、その後、紙、パルプ等の製紙機械や紡績機械等の製作を経て、昭和30年(1955年)から工作機械プレーナー(平削盤)の生産を開始し、38年(1963年)から工作機械の輸出業を先駆けて行って参りました。特に、門型の大型の平削り盤は、摺動面滑り方式で、当時の世界最高速となる毎分80mの送り速度を達成した「マイプレーナー」を始め、自社ブランドで多くの工作機械を開発し、プレーナーとプラノミラーの分野で高いシェアを獲得して、「プレーナーのキタムラ」との評価を得てご愛顧いただいて参りました。また、門型プレーナー、プラノミラーを複数の主要な工作機械メーカーに納入し、工作機械の主要部品の製作に貢献して参りました

高岡大仏

「T-12型」マシニングセンタ 千手観音像からヒントを得た
 本社・工場  「T-12型」マシニングセンタ
千手観音像からヒントを得た

 その後、当社がマシニングセンタ専業メーカーとして、世界市場を目指す起点となった大きな出来事がありました。昭和46年(1971年)、現会長・北村耕一郎氏が、千手観音像が手に持っているものを12本の加工工具に置き換えた発想を得て、「T-12型」マシニングセンタ(当時の名称:Full Automill)の開発に成功しました。これは、まさに銅器の町、高岡ならではの発想から生まれたものでありました。切削に必要な数多くの工具を自動で交換することによって、従来、複数の工作機械で行われていた作業を一台に集約できる自動工具交換装置(ATC)付きマシニングセンタは、20秒以上かかっていた工具取替えを2.5秒に短縮し、世界最高速のマシニングセンタとして、国内外で高い評価を受け、世界24ヵ国で特許を取得しました。また、ドイツ・ドナウ社に技術供与し「DONAUKITAMURA」というブランド名で世界展開して、多くの著名な大手企業に納入し、欧米中心に販売網を拡大して参りました。当時、高い技術水準だったドイツ市場で販売することによって、当社の技術レベルは飛躍的に向上しました。同開発によって、当社は第一回精機学会技術賞や自動化機械開発賞等、著名な賞を数多く受賞することができました。その後、当社はマシニングセンタ専業メーカーとして、30年以上コンセプトを変えずに、丈夫で高精度なマシニングセンタの開発に努めております。中でも「マイセンター」シリーズは、キタムラブランドの代名詞として、世界中で2万台以上の納入実績を誇っています。
 当社は、昭和35年(1960年)に日本工作機械工業会に加入し、同年、第4回大阪国際見本市にプレーナーを出品して以来、昭和37年(1962年)の第一回目のJIMTOFより継続して、毎回独自の技術開発を駆使した新製品、新技術を出展して参りました。最近では、昨年の第25回JIMTOF2010に、世界に類のないマシニングセンタ7 軸同時制御の空中加工機「MYCUBE」を出品して話題となりました。これからも、当社キタムラ機械は「創意無限」の理念のもと、新しい技術開発に取り組んで参ります。

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