新日本工機株式会社

“人類の夢を、ひとつひとつかたちに”を理念に、お客様の利益に貢献する製品を提供

東日本大震災で被災された多くの方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧・復興をお祈り致します。この稿が本誌に掲載される頃には、少しでも状況が良くなっていることを願っております。

さて、当社の前身の大阪若山鉄工所の創業は明治31年(1898年)に遡りますが、新日本工機株式会社としては昭和24年(1949年)の設立です。主力の信太山(しのだやま)工場は仁徳天皇陵や千利休、名産品では打ち刃物で知られている泉州・堺市です。また、このほかに大阪府泉南郡に岬工場があります。

 信太山工場は、古くは謡曲の「恋しくばたずね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」で有名な平安時代の陰陽師安倍晴明の母とも言われる白狐伝説の舞台となった所です。さすがに現在は開発が進み、狐狸が住むような所ではなくなっていますが、それでも、工場の中は四季折々に、春には、梅や桜、ハナミズキ、秋には紅葉、そして年間を通じ1万本に及ぶクスノキの緑、手入れを欠かさない芝生が心を和ませてくれ、来場されるお客様からは「庭園工場」として高いご評価を頂いております。「優れた機械は 優れた環境から」との創業精神が今に生かされています。 初夏の信太山工場正門風景 
 初夏の信太山工場正門風景

当社の得意とするのは、大型機械、しかも世界に一台しかない「オンリーワンマシン」です。お取引いただいているお客様は、国内はもとより世界中の鉄鋼、造船、自動車、航空機、産業機械、エネルギー関連のリーディングカンパニーから町工場まで多岐にわたります。「お客様の多様な声こそ当社の活力」と、どのようなご要望にもお応えするのが当社のモットーです。エンジニアにとっては本当に働き甲斐のある会社と自負しておりますが、世界を相手に商売を繰り広げる営業マンは毎日東奔西走の大変な日々です。工場が大阪にあることもあり、関西弁が社内の公用語となっており、関西弁訛りの英語や中国語を駆使して、商談を進める姿は頼もしい限りです。

ところで、今でこそ門型機は世界中のメーカーが手がけておられますが、当社は日本でのパイオニアです。また、航空機関連についてもその草分けとしての実績から、新しい国産ジェット機の成功に大きな期待を寄せております。さらに兄弟会社に大和製罐という缶メーカーを擁しているのも当社の特色です。今でこそ缶ビールは普通の飲み物ですが、発売当初は缶のにおいがすると不評を買ったのも今となってはいい勉強であり、その後の製缶技術の飛躍の基になったと思っております。ちなみに缶コーヒーを世界で最初に作ったのは当社グループです。このように、当社のメインは工作機械ですが、その一方で、このような産業機械、大型の三次元測定機、さらにテープレイアップマシンなど、非切削機械も製作しております。

また、岬工場においては遠心鋳鋼管を製作しております。これは当社の工作機械に使われるほか、古くは大阪万国博覧会のお祭り広場の大屋根、最近では東京スカイツリーに使用されております。

さて、近年、新興国の台頭によって、わが国のモノづくりは危機に瀕していると言われます。また、今回の震災がそれに拍車をかけるのではとの危惧も日増しに強くなっております。しかし世界一の技術力を持つ、わが国の工作機械業界が元気を取り戻せば、やがてモノづくりはわが国に回帰すると考えております。その先頭に立って当社はさらに技術の陶冶に邁進致します。会員の皆様におかれましては、今後とも、どうぞよろしくお付き合いいただきますようお願い申し上げます。

信太山工場全景写真
 信太山工場全景写真
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